サルヴァドール、サンパウロ、リオデジャネイロ、ニューヨーク、東京、沖縄、ブエノスアイレスを旅してレコーディングされた宮沢和史3枚目のソロアルバム『MIYAZAWA』。その旅を宮沢が語ります。
 この2年間でTHE BOOMとして納得のいくアルバムを2枚創れたので、またソロでやってみようと考えて、THE BOOMの2001年の全国ツアーが始まる直前の3月、ブラジルに行ってきました。当初は、ブラジルでレコーディングした前作『AFROSICK』(1998年)の第2弾、『AFROSICK 2』とこのプロジェクトを呼んでいました。
 今回はアート・リンゼイと一緒にレコーディングしています。
 まずブラジルのバイーア(サルヴァドール)でリズムトラックを録ってきました。イレ・アイェという、バイーアでは有名なパーカッション・グループから若手のミュージシャンたちが6、7人来てくれまして、ベーシックトラックを録りました。
 次にサンパウロに飛びました。サンパウロではマックス・ジ・カストロという、僕が今すごく注目している若いミュージシャンとレコーディングしました。彼と一曲録って、それからリオデジャネイロに行きました。前作でも活躍しているカシンとレコーディングしました。カエターノ・ヴェローゾの息子モレーノと一緒にグループ「MORENO+2」を組んでるミュージシャンです。
 ブラジルでのレコーディングを終え、次のレコーディング地ニューヨークへ飛ぶ前に、アルゼンチンのブエノスアイレスに一日だけ寄って、レコーディングのミーティングをしてきました。
 南半球のブラジルから北半球のニューヨークへ。寒かったです! 雪が降ったり風が吹いたりしてるのにセーターも何も持ってない。東京を発ったときは、頭の中は「ブラジル!」でしたからね。
 ニューヨークではアート・リンゼイの友人ミュージシャンのプライベート・スタジオでレコーディングしたんです。アート・リンゼイは現場主義というか、現場で面白い音をとにかく録り逃さない。それをどんどん記録していくというタイプとしては僕と似てるんですけど、僕にない部分もいっぱい持っています。ヴィニシウス・カントゥアリアら、ニューヨークのアートの友人たちの個性と、バイーアのリズムトラックと、宮沢独特の節回しのメロディが合体して、聴いたことのない音楽になっているんじゃないかと思います。
 ニューヨークから東京に戻り、アートと約1カ月レコーディングを続け、その後、沖縄で我如古より子さんとのレコーディングをしてきました。ブエノスアイレスはこのプロジェクト最後のレコーディング地でした。
 ブエノスアイレスへは、まず成田から飛行機に乗って13時間かけてニューヨークへ行きます。ニューヨークの空港で乗り換え便を5時間待ちます。そこから一気に真南に下りていくんですが、それが11、12時間。だから東京から行こうとすると30時間かかります。往復で60時間! 「3泊7日」という聞き慣れない行程に唖然としました。
「ゲバラとエビータのためのタンゴ」は、最初リオデジャネイロでトラックを録ったのですが、今度はタイトル通り、アルゼンチンに渡ってタンゴのミュージションたちと別のトラックを作ろうと思ったんです。賞味期限のある詞なので、その時その時、詞を書き直して、「2001年の黙示録」としてドキュメンタリーを記しておこうと思っています。
 レコーディングは非常にうまくいきました。オスバルド・レケーナさんというタンゴ界の重鎮というか、ピアニストでありアレンジャーであり、アルゼンチンの映画音楽家でもある方が、僕の作詞した「ゲバラとエビータのためのタンゴ」に曲を付けてくれて、タンゴのオーケストラでレコーディングしました。スペイン語に訳して事前に渡しておいた僕の詞をとても気に入っていただき、「これは日本だけの問題じゃない、アルゼンチンもそうだ」と言ってくれたんです。
photo by Ohashi Jin